12月24日 クリスマス・イブ 神様のご加護がありますように

クリスマス・シリーズ

クリスマスに向けて怒った絵ばかり描いてたなんて。それもまた、人生。

 

 

クリスマス・イブ。

街中に出かけていかなくなったせいか、クリスマスのムードも程遠い。去年は、アルバイト先で、余分にあったクリスマス・ケーキから1つをもらってすごくうれしかった。

検品しながら、各店舗向けのカートに、決まった個数を入れていく作業で、そのクリスマス・ケーキをいただいた。おいしかったな。うれしかった、ホントに。

ところで、今年は、そういった、チームで流れ作業になるアルバイトは身体に無理そうなので、探すのもやめてるし、その辺にまつわる事情で、仕事はしなくてもいい事になっている。家の中では。

とはいえ、もしも来年になって気が向いたら、業種は狭まるけど仕事を探してみようかとも考えている。

というのは、つい最近、父と私は非常にギスギスしてしまったので、そこまで言うなら家にいないほうがいいんだな、と、判断したため。

「家にいないほうがいいんだな」というのは、この判断内容も、居なくなってしまう最北端から、顔を合わさないだけの最南端と、程度の問題がある。

「出て行け」と言われたわけではない。出て行こうと思えば、出ていけるので「出て行け」とは当然ながら言われるわけはないし、そうなったら別の対応というのが始まる事になる。

私は私で世帯主であるわけだし。

父としては、自分の独善的な振る舞いということについては、反省して話し合うということが、いっこうに、お互いにあったためしがない。

私と父との関係については、母が取り成しているような関係になっている。

といっても、父は私を「信用のおけない、今では子供とも思っていない」というわけではなくて、そこは温度差というものだな、と私も理解はしているが。

そこで、これが私の兄、妹、私の3人の子供と両親という、40年も昔の家族関係だけで見てみると、何もでてこないかもしれない。

なぜ、なにも出てこないのかというと、その5人のそれぞれが作る関係性の中での「家族」というのは、誰がどう見てもたかが知れている、自分たちひとりひとりが、家族についての作文を、もしも5人それぞれが公表したとしたら、あまりに地味でその分誠実で平凡で、やはり5人はそれぞれ5人の誰かを取り成して、丸く平和におさまるストーリーにしかなり得ないような、それほどまでに小さく、内側の消失点へと向かう時間を共有しただけともいえる、まれに平和な時代で幸福な時、・・・と、続く収まり方しか見出せないように思える。

ところが、今では、兄は家族を作り、生まれた子供たちは家族を作り、妹も嫁いで家族を作り、生まれた子供は家族を作り、だ。そういうふうに、消失点へと向かうのではなくて関係性を拡大しながら、薄まってゆく人間関係を親族的につきあう。各自当人のなかで一体誰が、その結びつきを、「家族」と考えているのか。

「家族」の概念と心情というのは、そこのところが一様にはならない。

母は、相変わらず、核心を為す内実は閉じた系にいる。

父は、まるで会社組織のように「家族」を経営しているが、内実が齟齬を起こしている。

そして、父と母は、私を「どこの枠にも収まらない子供なのか他人なのか、異物なのか」結論は、分からないでいるんだ。

結論は、分からないでいるということだ。

これは分析ではなくて、塗り絵の色塗りみたいなものだ。

30年前、デザイン会社にいた時、数年先輩のデザイナーは「色彩には、コレは間違い、コレは正しいというのはないんだ」と、色指定の記号を版下を覆うトレーシングペーパーに細かに書き込みながら、言っていた。

営業担当が「これ、ピンク多すぎないかい?このチラシ車屋だよ」とは注文をつけていた。

 

それで、曽祖父の代からの家族の末裔である、父母は、父を家父長政権の首相みたいなもので、その組織の運営は、母が取り成しをするという形で、家の内部も遠方親戚にもそれでうまく行っていた。

だから、母は、私と父が今回みたいにこじれると、時間をおいてから、電話か直接私のワンルームにやって来ることもあった。胸騒ぎなのか、なにやら母方の昔、10人兄弟プラス父母のかつて大家族のなかで、末っ子から2番目の子だった頃を想像させる。たぶん、いつも母は大家族でそうやって過ごしてきたんだろうと思わせる、いつもよりも歯切れはいいけど声が今にも震えて崩れそうな、でもはっきりした話し方をする、肝心のことは自分は言わない、意見になるようなことは言わない。

でも、動揺している。同じことを繰り返し言ったりすることもない、明晰に聞こえる、きっぱりとした口調でさえある。それでも、語尾から崩れてしまいそうな、ブルブル震えているのを落ち着かせようとしているようにも聞こえて来る。

「身体、具合悪いのかい?今日、来なかったから心配したんだよ。テレビばっかり見てる・・・「わかば薬局」行ったら、シャッター閉まっててね・・・声聞けたから安心した・・・」

取りなすという役割のために、自分には本心が別にもあるという話は絶対にしない。

「家族」には、それぞれが役割があると、誰か言ったのかも知れないが、そんな何か役職があるわけでもないのに、いつもそうしてきたから、死ぬまでは役割に殉じるしかないというインセンティブは強固だ。個人の一生を司っているようなものだ。

父は、昨日どんなようすだったかというと、毎月一回通院している病院に、私が自家用車を運転して送ってあげて、その帰り、要するに父も母も饒舌なんかじゃないんだ。口下手の類だ。

「・・・あー、家来て、コーヒーでも飲んでくだろ?」

といつものように言うから

「いやいいよ、みんなによろしく」と私は応えた。

「みんなによろしくか、・・・はいはい」

最後には冷たく背をむける。

きっと父は40代や50代働き盛りか、若い頃でもあったなら、車のドアを思いっきり音を立てて閉めたはずなんだ。

背中を向けて閉めた割には、きちんと、ドアはそれなりに音を立てて閉まった。

精神分析ではないんだ。それは医者がやることだ。

これは、色塗りだ。塗り絵だ。

ここまできて、ようやく私は自分のことを言う。

兄弟3人と父母との5人家族、そこには祖父も祖母もいたのに、子供の私には、そんな連綿と繋がっている大人の葛藤なんかわかりもしない。親しさや疎遠さだけの、それ以外は信頼でしかないものが「家族」であった。「家族」は閉じた系であっても、破滅的な解放系や収束系であっても、その系が何かを担ってくれたとしても、大事な大事な時間であったとしても、それはそれ。

それよりも、自己意識というものだ。自分にはどこか自覚的な異物感があった。

その異物感を、悪賢く染め上げることも、清廉な人生前向きに仕向けることもできただろうな、と思う。私の異物感というのはそうなんじゃないかと思う。

 

クリスマスおめでとう。

神様のご加護がありますように。