2023 1月1日 今日が元旦だなんてなんだか信じられない

過去作品 / B1サイズ・イラストボード

この絵は、描いた工程をよく覚えていて、スイスイ、スーイと半日がとてもスムーズに運んだ。油性クレヨンで、輪郭から描いて行って、アクリル絵の具と墨で色塗り、おおまかに仕上げた後に微調整をして、それで出来上がった時に「できた」と思えた。「できた」で終えられるとは自分としては、珍しいことだった。それから知人が言ったひとこと、「この絵、飛びだしてきてるもん」と褒められた時の、その言ってることが印象に強かった。

 

私の母は、「私は認知症じゃないの、ボケてないの」と言うけれど、部分的にはっきりと症状が出ているのが見えて来ているので、近いうちに病院に一緒に行こうと思う。

「休んでばかりいたら、ボケちゃうから。十分休んだから、大丈夫」と言う。咳を、時々コンコンしている。父は、記憶力は明晰で、性格は変化がなさそうに見える。タバコを吸うので、時々、咳込んでからグエエエエエ、グエ!グエ!ガー!と、凄まじく痰を吐き、時々ぐったりしている。二人とも、薬の種類は三つ以上を飲んでいる。

昭和の、昔の母みたいな人は、みんな真に働き者なんだろうか。道徳心と労働意欲が嘘偽りなく結びついて、身についているので、「休んで羽を伸ばしたい」みたいなことは、考えにないように思える。「蔵を建てたらだめだって言うでしょ」「へー。なんで?」「ナマクラって」と、絶妙な間を置いて、昔話のように話す。曽祖父母から聞き覚えたこと習い覚えたことを、宝物のように大事にしようとしているように見える。

私は、生と死を越えて、いよいよ死ぬと、「生と死」ではない別な世界があると信じようとしている。「向こう」と指させる方向があると、信じようとしている。

でも、決定的なのは、死は別れでしかないので、自分がどういう死に方をするのかということよりも、いざ自分ではなくて身近な人が死ぬことを考えたりしたら、自分の哲学ノートと称しているつもりのブログのエッセイ、哲学、思想、ぼやきなど、すなわち迷妄どころではなくなる。

コンビニで今朝、買い物をした時、ポイントカードと現金で払うつもりがレジ前に来てから、現金が足りない事に気がついて支払い方法でもたもたしてしまった。レジ打ち直しをしなくちゃならなくなって、店員さんに迷惑をかけた。店員二人が、迷惑そうな顔をしていたので、私は迷惑をかけたんだということになった。

癖で「すいません」を何回も言ってしまって、自分で自分が不愉快になってしまった。

こうして、日本人は、テコでも動かないほど「すいません」とは口に出さなくなるんだ。

あけましておめでとう。

今年もよろしくね。